リオオリンピック初日の注目はやっぱり柔道!!
カトパン似でかわいいと評判の近藤亜美選手についてまとめたいと思います♪
ぷぷ♪確かに似てるかもね!!
近藤 亜美(こんどう あみ、1995年5月9日 – )
愛知県名古屋市出身の、日本人の女子柔道選手。
階級は48kg級。身長156cm。血液型はB型。組み手は右組み。
得意技は払腰。
現在は三井住友海上所属
近藤亜美選手の経歴は
(小さい頃)
近藤亜美選手は母親の「新体操をやって欲しい」という願いから、小さい頃、機械体操を習い始めます。
しかし、柔道をやっていた兄の影響で5歳の時に地元の六郷道場で柔道を始め、2か月後に出場した初めての大会で準優勝。
お兄さんの名前は近藤孝哉さん。亜美さんより2学年年上で、年齢は今年で22歳。
お兄さんが地元の「六郷道場」で柔道をやっている姿を見て、亜美さんも興味を持ったのでした。
兄・孝哉さんは、大成高校から名城大学へ進み、副主将をつとめています。
(小学生の頃)
さらに、近藤亜美選手は、小学校2年生の頃からいろいろな柔道の大会で優勝するようになり、小学生時代に獲得した金メダルは100個以上あったそうです。
(中学生の頃)
近藤亜美選手は2008年に大成中学へ進み、中学3年生の8月に「全国中学校柔道大会」の48kg級で優勝。
(高校の頃)
高校は2011年に大成高校へ進学し、入学してすぐの4月には「全日本カデ」で、全試合寝技で一本勝ちして優勝を飾りました。
そして5月の「ドイツカデ国際大会」、8月の「世界カデ」でも優勝。
高校2年生の2013年1月、「ベルギー国際柔道大会」のジュニアの部で優勝。さらに、シニアの部でも優勝。
高校3年生の8月に行われたインターハイで優勝。そして日本の国際柔道大会「グランドスラム・東京」で、世界チャンピオンだったモンゴルのムンフバット・ウランツェツェグ選手を決勝で破って優勝し、一躍脚光を集めました。
そして、高校卒業後は三井住友海上に所属しています。
父親は元相撲力士
近藤亜美選手のお父さんの名前は、近藤敬造(けいぞう)さん。
お父さんの敬造さんは、地元の中京高校から中京大学へ進学。
高校・大学と相撲部に所属し、学生選手権(大学対抗の全国大会)にも出場したそうです。
子供の頃から100キロ級のお父さんと近藤選手はよく取り組みのように遊んでいたようです。
亜美選手が柔道を始めると、勝ったら一緒に喜び、負けても徹底的におだてる!という教育方針だったようです。
注目されると力が出るタイプと自分でも言っている亜美選手ですが、その性格は父親の教育の影響があるのかもしれません。
亜美選手は、小学校2年生の冬に名門「大石道場」に移り、そこでメキメキと力を付け、各大会で優勝を重ねるようになります。
敬造さんは練習の大切さもきちんと教えたそうです!
『努力家はいるけど、天才は誰もいない。寝て起きて強くなった選手はひとりもいない。』
お父さん!!かっこいい!!
こうして実力をつけた亜美選手は、小学校5年生の時に学年別の40キロ級で全国大会初優勝を飾ります!!
しかし、その後の県大会決勝で敗れ、2年ほど続いていた連勝もストップ。亜美さんは大泣きして、柔道を辞めると言い出したそうです。
その時もお父さんは、
『負けたまま辞めるのはダメ。勝ち逃げしろ』と諭し、
この言葉で、稽古にも一層熱がこもるようになり、小学校卒業時には獲得した金メダルが100を超えていたということです。
素晴らしいお父さんですね!!
亜美選手の強さの秘密、天真爛漫な笑顔の秘密はお父さんの愛情ある教育にあったんですね♪納得!!
ちなみに、亜美さんの祖父・次郎さん(享年79)も相撲の力士だったそうです。
おじいちゃん、お父さんが元力士で、お兄さんが柔道家。
これは亜美選手も柔道をするようになるのは必然的なことだったんでしょうね。
しかし、亜美選手のお母さんは『女の子らしいことをして欲しかった』と思っていたようです!
母親の本心だとそうですよね。気持ち分かりますー!!
愛情いっぱいに育てられた近藤亜美選手!
8月はお父さんとお母さんの誕生日月で、子供の頃から、全国大会の金メダルを誕生日プレゼントに贈っていたという亜美選手は、
『五輪でも金メダルを取ってプレゼントしたい!』と宣言!!
なんて嬉しい言葉なんでしょ!!
全力で応援するよーーー!!
ガンバッテーーー!!!