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永野将司(ホンダ)父とケガの試練!出身中学高校大学も!ドラフト注目!

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2017年のドラフトで間違いなく指名されるであろう、社会人サウスポーが2人います。
一人がJR東日本の田嶋大樹投手。

そしてもう一人が、今回紹介するホンダの永野将司投手です。

田嶋投手が先発タイプで、永野投手はどちらかというとリリーフタイプのピッチャーですね。
また、最速153km/hを投げる永野投手は、今年のアマチュア球界の中で、最も速いストレートを投げる左投手でもあります。

 

名前:永野 将司(ながの しょうじ)

出身地:大分県杵築市
生年月日:1993年3月2日
身長:181cm
体重:82kg
投打:左投げ左打ち
経歴:杵築市立山香小学校杵築市立山香中学校→大分県立日出暘谷高校→九州国際大学→Honda

 

永野将司投手は、小学2年生から永野投手のお父さんが監督をやっていた「山香少年野球クラブ」で野球を始めます。
最初の頃は、ピッチャーではなくて、主にセンターを守っていたそうです。
中学時代は、学校の軟式野球部でプレーして、その頃からピッチャーもするようになりました。

 

○日出暘谷(ひじようこく)高校
高校は、地元の日出暘谷(ひじようこく)高校に進学。
この高校は、自転車競技部が国体やインターハイで何度も優勝するほどの強豪校ですが、
野球では無名の高校でした。
永野投手が卒業して、4年後の2015年3月に閉校しています。
もし永野投手がプロ入りしたら、最初で最後の、唯一の日出暘谷高校卒のプロ野球選手ということになりますね。

高校時代の永野投手は、全くの無名の選手でした。
主に外野手としてプレーし、たまに2番手投手としてマウンドにあがることがあったぐらいでした。
またチームも弱く、県大会2回戦進出が最高成績です。

高校卒業後は、九州国際大学に進学。
永野投手の才能が開花するきっかけは、1年生の冬に、1日500回の「うさぎ跳び」や「スクワット」を繰り返したことでした。
そのトレーニングにより、下半身が強化され、高校時代125km/hだった球速が、2年生の春には一気に144km/hまでアップしました!

 

「うさぎ跳び」って、膝関節や股関節に悪影響があるから、現代ではあまり行われていないトレーニングではないんでしょうかね?
私なんか、実際に「うさぎ跳び」をしている人を見たことないです。
「巨人の星」で星飛雄馬がやっていたイメージしかないです。
現代でもトレーニングとして、やっているところがあるんですね。
しかも効果があったとは、びっくりです。

 

その後、最速149km/hを投げられるようになり、ようやく、ここから永野投手の華々しい活躍が始まる!・・・のかと思ったら、大学卒業にかけて、知られざる苦労が!

 

○父の死→肘の故障→トミー・ジョン手術→就職浪人
大学3年生の時に、永野投手の父が46歳という若さで急死されます。
死因は心臓発作で、永野投手のリーグ戦を見に行くという連絡があった矢先のことだったそうです。
野球を始めたきっかけでもあった父の存在は、永野投手にとって、とても大きなものだったことでしょう。
更に4年生の時には、左肘の靭帯断裂と診断され、トミー・ジョン手術を受けることになりました。
現代ではポピュラーになったトミー・ジョン手術ですが、手術を受けると1年ほどのリハビリが必要となり、その間、全く投げる事ができません。
そのため、永野投手は内定していた関西の企業から就職を取り消され、就職浪人をすることになります。

 

再び元のように投げられるのか不安な中、永野投手は、居酒屋でのアルバイトをしながら、母校の大学でトレーニングを続けました。
1年半にも及ぶリハビリ生活の後、「左腕がほしい」というHondaの希望があり、練習に参加することができ、何とか入社することができました。

社会人に入ってからの永野投手は、1年目の日本選手権予選で、自己最速の153km/hをマークし、一躍プロ野球スカウトから、注目される存在となりました。
社会人2年目の今年も、自身初となる全国大会で152km/hを出すなど活躍し、更に評価を高めています。

現在のプロ野球界には、左の投手を必要としているチームはたくさんあります。
しかも、150km/h以上を投げられる即戦力投手なんて貴重ですから、永野投手が望めば、今年のドラフトで指名される可能性は高いですね。

ぜひとも、自慢のストレートを武器に、プロ野球で活躍する永野投手を見てみたいものです。

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